ちゅらしっくわーるど

ことりの話し・日々の気づきを宙ららの世界観で綴ります

命を落とさぬ覚悟(鬼滅の刃:無限列車にて 思うこと)

【気づき・物語り】
《ちゅらしっくわーるど》〜宙ららの世界観の物語りです。あしからず。

《命を落とさぬ覚悟》
かつて戦国の世では”武士は潔く切腹” の美学。❹をもって「けじめ」をつける。だめだめ…そんなの絶対に駄目!一見すると格好良く 立派なようですが、❹んだら あなたは それで終わり。だけど、そんなの無責任!残す者、残された者のことを考えるのであれば 生きて、生き抜いて使命を全うし、責任を全うすべきだと思います。

④が怖いからとか ④にたくないなどの 個人的な逃げの感情からではない。もうONE RANK上の責任の取り方は④んだ気になって最期まで生き抜いて「志」なり、「責任」なり、「償い」なりを 貫き通すことではないかと考える。

わたしは魂は永遠である と考えるが、肉体はいつでも 簡単に❹んでしまいます。生ある者はいつ④んでしまうか分からない。今 この世界で あなたという尊い命と 今生で繋がりを持てるのは わたしもあなたもまだ命が肉体に宿しているからです。1人に1つずつの大切な命です。あなたやわたしの尊い命は たった1度きりの❹で この世界での関わりは 終了してしまうのです。どんなことがあっても 簡単に命を放棄しないで欲しいと願います!簡単に命を諦めないで欲しいのです。

自分1人だけのことであれば 当に投げ出してしまいたくなることでも「守るべきもの」がある奴は強い!大切な誰かのためになら… 大切な何かを守るためなら … 不安や恐れをも消し去り、疲労や痛みをも超越した もの凄いパワーが 自分の中に生れます。「無心」が生み出す「なにくそ根性」です。

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【ネタバレ注意!】
※この先は 無限列車篇のストーリーに ネタバレがあります。映画の内容が分かっても構わないと思う方のみ お読み頂けたらと思います。
※ネタバレしたくない方は【ネタバレ解除】から 引き続き お読み願います。

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映画『鬼滅の刃・無限列車』を劇場でみた時に 感じたことがあります。DVDで見た時も、アニメで見た時もそう思いました。コミック本も全巻ありますが 映像化されるまでは先を知りたくないので まだ読んでいません。これは、そんなわたしの感想になります。

鬼滅の刃:無限列車で思うこと)
煉獄さんは格好いい。キャラもいい。ストーリーもセリフも抜群にいい。今までもそうでしたが いつも鬼滅の刃の世界観にどっぷり浸かって 胸が熱くなり 自然に涙が流れてしまいます。けれど、煉獄さん…なんで そこで❹ ぬんだよ。そんなに❹ に急ぐなよ。他者も守り 自分も守ってこそ なんぼじゃないのかよー。選ばれし柱はそういない。あなたには これから先も もっともっと高みを極め、育て、守り、繋ぎ、見届ける責任と義務があったのではないですか?それを そう易々と天に返上してしまわずに その先の先まで生きて 貫き通して 欲しかったです。まだまだ あなただから出来ることや、あなただからやるべきことが 沢山あったのではないかと思うと悔やまれてなりません。「時」や「策」を「見誤る」と、とんでもない「損失」を生むことがあります。機を伺い 時を待つ。戦い(闘い)には「譲れぬもの」がありますが「守るが故に捨てる」ことも 必要な時もあります。「こだわりを捨て」「執着」せずに、ここは「逃げるが勝ち」ということもある。災いから逃れ 回避する というのも戦略のうちです。守るために逃げることは決して「恥」ではありません。「回避の為の逃げ」は 戦い闘う者にとっては 時として「必要不可欠」な「策」であって「賢明」な「策」なのです。「諦め」や「自暴自棄」になることを「逃げ」というのです。それは恥となります。煉獄さんほどの人は これ以上戦えば命を失うことは分かっていたと思います。だから…、煉獄さんは「勝つための一か八かの命の賭け」に出たのではない。自分の命を捨ててでも 自分以外のここにいる者達全ての命を守る覚悟を最後の最後に決めてしまったのです。自分自身の命が保てなくなるほどに命を賭けて 自分自身の命を捨てるまでの戦い方をせずとも せめて陽が出るまで守りに徹したり、加勢が来るまでやり過ごしたり、どんなことがあろうとも 煉獄さん自身の命をも 落とさぬ覚悟でこの戦いを戦い闘っていたならば、みんなの命も煉獄さんの命も落とさぬ戦いになっていた筈なのです。そう思うのです。(…それを言ってしまっては 思うようなストーリーが進まないのは 充々承知しています。これは あくまで、この時に湧いてきた私の感想です。すみません。)煉獄さんには 煉獄さん自身の命も 守って欲しかった。そこだけは悔しくて、悔しくて、しようがありません。戦いの後、陽が差すまでそんなに時を要さなかった あの感じでは 煉獄さんならば なんとかやり過ごせたのではと思うと…煉獄さんほどの人がなんで…どうして…❹に急いでしまったか…と悔やまれてなりません…。

真の勝利とは、例えどんなに惨めでも 何があっても 他人に何と言われようとも 自分自身の命も…皆の命も…諦めず、助けてこそじゃないのかよ!立派ずぎるんだよー!煉獄さんの馬かやろーーぅ!!(涙)と、心の中で 炭治郎達の後ろで わたしも地面に伏し 炭治郎達と一緒に大泣きしていました。実際には…自然と涙がこぼれていました。わたしの こっそり泣きの極意は「涙を拭わずに自然に涙が乾くこと」なのですが、いつも涙が乾く前に 劇場が明るくなることが わたしの悩みの種なのです(笑)。
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【ネタバレ解除!】
真の勝利とは…
みんなの命も守り 自分の命も守り抜く。みんなも④なずに 自分も④ なないことだと思います。ここだけ守れば良いことではなく、今だけ守れば良いわけでもない。とても厳しく難しいことだけど そうなのだと思います。

誰もが今生の肉体に与えられた尊き命は等しくたったひとつ。だけれど、肉体に宿る命はいつでも簡単に無くなってしまう。命は捨てる気になれば簡単になくなってしまう。
だからこそ…命を粗末に扱ってはならない。
命は奪うものではなく、守るものだと…。命は賭けるものではなく、守りぬくものだと…。

戦いの場であるなら尚更に 「命を捨てる覚悟」で戦い闘うのではなく、「誰の命を落とさぬ覚悟」を肝に命じて戦い闘うべきである。どちらの心が奇跡(神)を呼ぶのか…。

いざ戦い闘わんとする者達よ、自分自身の命も、大切な者の命も、同じ尊き命。その尊き命を落とさずに守り抜くという「強い覚悟」を持ち…、そして守り抜けるという「強い自信(核心)」を持ち…、そして「腹をくくれ」!