ちゅらしっくわーるど

ことりの話し・日々の気づきを宙ららの世界観で綴ります

成るように成る

【ポエム•物語り】
《ちゅらしっくわーるど》〜あくまで、宙ららの世界観の物語りです。あしからず。
《成るように成る》
宙ららの不思議な物語り。
これまで生きてきて半分くらいは楽しく幸せに暮らしてきました。これまで何度か肉体的に④ にかけて、精神的にも何度か④にかけたことがあります。
ただ、そのたびにいつもこのままではいけないと思い、必ず立ち直ってきました。

そんな時は必ず、「自分は天に恥じるような生き方はしていない」と強く思い、「あとはかみのみぞ知る」と思って雑念を払って運を天に任せて自分がその時に出来ることをして生きていました。

以前、大きな事故に合ったことがあります。信号が青になり、見通しの悪い交差点だったので徐行運転で交差点に入ると信号無視をして猛スピードで突っ込んで来るベンツが視界に入ってきました。その時はさすがに「④ぬかも知れないな」と瞬間的に思いました。ぶつかるまで約1〜2秒でしたがその一瞬の間に色々な思考があれこれ浮かびました。「もし私が④んでしまったらきっと母は悲しむだろうな」とか「スピードを上げてこのまま進むべきか?」「ブレーキをかけて止まった方が良いのか?」と助かる可能性を色々模索していましたが、ぶつかるその瞬間には何故か「成るように成る」と腹が決まっており、被害を最小限に留める為には「ハンドルだけは、しっかり持とう」と冷静になりぶつかる瞬間に足をアクセルから離してとっさに両手両足で身体を車に固定するイメージで支えました。そして猛スピードのベンツは私の軽自動車の運転席側のサイドミラー辺りにぶつかりました。私の車は進行方向とは逆のもと来た方へと回転し郵便ポストに激突して止まりました。

軽自動車は退廃し、運転席側のドアの上は、私が頭をぶつけたからでしょう、頭の形にへこんでいました。そんな大事故でしたが私は外見的には一見すると無事だったのですが頭にはとんでもなく大きなコブができていました。痛みは興奮でかき消され麻痺していたものの、母の握ってくれたおにぎりやお弁当が外にまで散乱しているのをぼんやりと見つめているうちに無性に悲しくなりました。「今は大丈夫でも、頭をかなり強く打ってしまった。若くして両親、家族より先に④んでしまうかも知れない。親不孝だな…」そんなことを考えていました。

間もなく誰かが呼んだ救急車がやって来てぶつけてきた相手と一緒に病院へ運ばれることになりました。相手は同世代の男性で、救急隊員とのやりとりから電信柱にぶつかって止まったようでした。職場への遅刻を気にするあまり信号を無視して猛スピードで飛び出したそうです。運転中シートベルトをしていなかったそうでそのせいでか血だらけでした。腕や肩、腹部は紫色に腫れあがりとても具合が悪そうでした。救急隊員は私をそっちのけで手厚く扱っている状態でした。退廃した車はレッカー移動され廃車になりましたが、結構な酷い事故でした。

病院で一通りの検査を終えて「頭を強く打っているのが心配だが今は特に大きな問題はない」ということで帰宅しました。母には事故にあった事だけは検査前に伝えていましたが、帰宅すると玄関先で母が泣きながら私を迎えたので私を心配してのことかと思いたずねると、たった今、母の目の前で元気だったうさぎが急に苦しみ出したかと思うと④んでしまった…と言って泣いていました。私はショックでしたが、もしかしたら飼っていたうさぎが④んだ時に本当はわたしが④ぬ筈だったのではないかと思い、わたしの身代わりになって亡くなったのか…?と、そんなことも思いました。

私が病気や体調の悪い時には家族やペットが同時期に同じ症状の病気にかかり治療や手術を受けることとなり、私は病院で検査をするも特に異常は無くそのうちに症状がなくなってしまう、④なずにすんだという不思議な経験も幾つかあります。お互いに思い合い、お互いの病気や命の負荷を協力し合っていたのかなとも思います。偶然なのかは分からないが、いつも申し訳ないと思うと共に守ってくれてありがとうと感謝をしていました。

自分の力ではもうどうにもならない最後の最後には「因果応報」「成るように成る」と割り切って運を天に任せて覚悟する。生きているうちは、まだこちらで何かしらやり残したことや、やるべきことがあるから生きている。寿命でも何でもやり残したことがあるままあの世へ帰れば、あちらでやるべきことがあると、常々私はそう思って生きています。。

「相撲の稽古は三年先を見据えて稽古する」ということを、ある尊敬している方の話しで知りました。ですが、私は以前から今世の行はあの世と来世を見据えて生きています。もう今世は生まれて来てしまったのだから楽しかろうが苦しかろうが仕方がない。ですが、④してあちらに帰る場所と次の世の先々のために今をしっかりと生きることは出来る。今学べることを学び、できる行いをして生きよう。そして、いつか大切な者や恩ある者が万一足りぬ時には自分の徳を渡せるようにと、コツコツと貯められる徳を少しでも積んでおこうと思っています。次は…もしもまた行くのであれば地球以外の諍いや争いがない安楽の場所で大切な仲間達と自由に学びあい支えあって豊かに生きられる世界にいきたいです。

祖母は学校の先生でしたが私の良き相談相手兼、良き茶飲み友達のようでした。思い出すと温かい気持ちになるような楽しい思い出が沢山あります。祖母は元気に長生きをしましたが「もうおばあちゃんはおとうちゃん(若くして亡くなった旦那さん)に会えるのが楽しみだからいつお迎えが来てもいい」と、たまにそんなことを言っていました。そう言わないで長生きしてねと思っていましたが、きちんと生きた人は大抵そう言います。きっと今頃は、どこかで仲睦まじく幸せに暮らしていることと思います。