ちゅらしっくわーるど

ことりの話し・日々の気づきを宙ららの世界観で綴ります

波長が合う

【気づき・物語り】
《ちゅらしっくわーるど》〜宙ららの世界観の物語りです。あしからず。
《波長が合う》

誰にでも一度くらいは急に嫌な気配を感じたり、見えない何かに守られていると感じたり、実際に守られたと思うような経験があるのではないでしょうか?

良いものと波長があう。気にいってもらい守ってもらう。
そのためには、高い波長、清らかな波長、心地よい波長、とにかく波長の良いものと合う気や心を持つこと、好かれる波長を持つことが大切になります。

それは人にも例えることができます。同じクラスや空間に人がうじゃうじゃいてもあなたやわたしが気にしなければ、あなたやわたしの顔も名前も知らないまま…確かに居るのにその人にとっては存在は無いのです。自分が誰かといくら気の合う相手であっても、嫌な相手であっても、自分や誰かがその人に気付かなければ仲良くなることも利害を受けることも無いのです。

仲良くなりたいと思ったら自分の気を使って相手に気を合わせたり、相手の気を引く行為(気配り・心配)をするのと一緒です。また、嫌な相手には、なるべく気を向けずに会わないようにするでしょう。
そうして段々にお互いに気の合うものを探し、好み、仲良くなり、恩恵を受けあうのです。

善い恩恵を受けるためには、何にでも慈しみの心を持ち、感謝の気持ちを向けるという「日頃の心がけ」が大切なのだと思います。

自分の波長を向こうがキャッチします。相手の波長を自分がキャッチします。
自分や相手が等しく智慧や恩恵を投げかけていても、そのことに気が付かないと智慧や恩恵を受けることができないのです。わずかな智慧や恩恵を受けられたとしても、多くを拾うことや受けとることはできないのです。

鬼滅の刃の「全集中の呼吸」と同じようなものです。常日頃から「全集中・常中」を意識するのは難しいのと同じことで、難しいのです。なので普段はどんなでもいいのです。でも、いざという時、ここぞという時にはそんな波長に心を切り替え、チャンネルを合わせる習慣を持つといいと思います。

【慈しみ】の意味…愛する。かわいがる。大切にする。(岩波書店 新村出広辞苑より)

何にでもなんらかの波長があります。向こうが合わせたくてもこちらとの波長が合わなければ見ることはない。逆にこちらが合わせたくても向こうと同じ波長でなければ出合うこともない。悪影響も恩恵も受けることはないわけです。

人、物、自然、大気、風、植物、動物、虫、見えない何かにでも波長や気が宿っています。こちらが慈しみの心や感謝の心を向けて接しているといざという時に助けてくれます。ここぞという時に守ってくれて、力をかしてくれます。それは、信じるものにしか分からないことですが、まずはそう信じて感じようとすることです。

おかしな話しかも知れませんが、わたしは病気がちな妹が何処かで倒れたり大事がないように、妹には勿論のこと、妹が大切にしているものや家中のもの、そういった全ての者に「妹を見守って下さい」「何かの時には守って下さい」「誰かにお知らせ下さい」といつも気を配っていました。
そして、病気がちな妹が今日も無事に元気に生きていることに、そういった全ての者に「ありがとうございます」と感謝をしていました。そのことだけではないでしょうが、妹は重い病気の割には最後まで元気で明るく在りました。

また、わたしは富士山を見かけると一人の時には口に出して挨拶する時もありますが、いつも密かに心の中で何かしらの挨拶をしています。「こんにちは」「気持ちのいい朝ですね」「いつも私達を見守ってくれてありがとう」「いつまでもお元気でいてください」と。富士山と仲良しになれたら素敵ですね。