ちゅらしっくわーるど

ことりの話し・日々の気づきを宙ららの世界観で綴ります

老いて尚生きる意味

《ちゅらしっくわーるど》〜宙ららの世界観での物語りです。あしからず

今日は8月13日。
「老齢になって生きる」意味、「無理の効かない身体でもう十分生きたと思うのに生きていることの」意味を問われる機会がありました。

④を意識するようになってからの寿命までの余生は、現世での償いや、やり残したこと、思い残したこと等に時間をあてて、この世との未練や執着をなくし、出来るだけ魂を軽く清らかな状態にしてあちらのに帰るためにあるのではないでしょうか?

感謝、許し、清算の時間なのだと思うのです。

これまでのこと、これからのことに感謝して余生を生きる。

そして、これまでのこと、これからのことを許し、
これまで許すことが出来なかった者を許しながら余生を生きる。
即ち、それはこれまでの己れ自身を許すことになるのです。

あちらの世界に現世でのしがらみや、恨み、憎しみ、犯した罪などを極力持って帰らないように清算をしていきながら余生を生きる。

そして、オギャーと生まれた赤子のように人の世話になり、段々にこちらのことを忘れてあの世へ帰る。

悩んでもお迎えが来るまでは生きていくのです。
誰もが例外は無く、生まれて来たからにはいつか必ず④は訪れる。

悪戯に④を恐れたり、悲観して望んでみたりせずに、
折角まだあなたとして、この世に生きているのだから、
その日が来るまで気楽に楽しくマイペースに生きていたら良いのだと思います。

余生を苦しみの日々で暮らすのも、
余生を感謝と喜びの日々で暮らすのも、
自分の機転と心の持ち方次第です!

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これから先のその先も、持ちつ持たれつお互いに…
足りる者は、足りぬ者の…
強き者は、弱き者の…
支えとなり、そっと手をさしのべて、力になれる…

そんなことが当たり前だと優しく笑いあえる
そんな世の中であって欲しいものですね。