ちゅらしっくわーるど

ことりの話し・日々の気づきを宙ららの世界観で綴ります

愛犬MOの命日④誕生日プレゼント…

(誕生日プレゼント…)
愛犬16年目の誕生日の前日に便秘から痔になりおしりが腫れていて何となくMOは元気がなく食事があまり取れていませんでした。私は その治療をMOの誕生日プレゼントにしてあげようと動物病院へ連れて行こうと考えました。足や手にできた床ずれやオムツかぶれと痔の塗り薬の処方ついでに栄養剤の点滴もしてあげたいと思いました。

その日かかりつけ医が休診だったので、近くの病院を調べて最初に繋がった所で診てもらう事になりました。それが良かったのか悪かったのかは分かりません…

MOは ただの床ずれと、おしりの不調だったのに…
全く初めてだったので問診票を記載する様に言われました。そこにあった過去の病歴欄に「てんかん」と記入してしまった事が災いの元となりました。

先生から、てんかんの発作の事を聞かれたので「発作はおさまり発作は全くない。もう8ヶ月くらい薬は飲んでいない。今日はてんかんのことで来たのではない。」と最初にきちんと伝えましたが、先生と奥さんは床ずれとおしりを診たあとで私に何の了承もなく、不明な注射をMOに打ちました。

診察中に先生らは狂犬病や混合ワクチンの注射もすすめて来たので『老犬な上に体調が良好ではないので見合わせます』とお断りしたのに、もしかしたら狂犬病の注射を打ってしまったのか?と驚き何を打ったのかをたずねると『てんかんの注射』だと言っていました。「今日はてんかんの治療では来たのではなく、既に治っている。」と告げると、先生らは『てんかんの薬は勝手にやめてはいけない』と言っていましたが、飼い主に何の承諾もなく勝手にてんかんの注射を打つのはどうかと思っていると、MOはぐったりとしてしまいました。

先生と奥さんはMOの心臓を圧迫したり、何かの薬を鼻から噴入していたので、また勝手に何をしているのか?と思い先生にたずねると『呼吸をしていないので…』と言うのです。私が『❹んじゃったって事ですか?』と質問すると、『◯んだというか、心臓が動いていないので…』というので、『それって◯んだって事じゃないのですか?』と聞くと『まあ、そうですよね…』というのです。

初めて行ったその病院は着いた時から嫌な予感がしていました。診察の際にMOが乗っていた体重計付きの診察台のコンセントは抜けていて電源が入っていませんでした。MOに頼んでいない不明な注射を打ったことにも驚きましたが、体重を計らずに注射をしたことにも驚きました。体重に適した量を計算して薬を投与しなくて大丈夫なのかと不安と疑念にかられたからです…

次々に頼んでもいない治療をMOにする先生夫妻に『鼻には何を入れたのですか?』と聞くと『蘇生のために鼻から粉薬を噴入した』と言っていました。弱った老犬の心臓は弱っているのに筋肉の緊張を緩和するような「てんかんの薬(筋弛緩剤)」を打てば心臓が止まってしまうのではないか?ということは私でも想像が付きます。体重も計らずに接種した薬が適量だったのか?も疑わしく思えました。


このときの私は怒りというよりは急に訪れたMOとの別れに言葉を失い ただポロポロと涙が溢れて来るばかりで治療室に呆然と立ち尽くしていると、事務員がやって来て待合室で待つように言われました。誰もいない病室で亡くなったMOと一緒に20分くらい待ちましたが一向に何の声も掛からないので『いつまで待つのでしょうか?これからどうしたらよいのですか?』と事務員にたずねると、ペットの火葬場や霊園のパンフレットを渡されて治療費を丸々請求されました。その後、先生夫妻が待合室に顔を出すことはなく、私にも愛犬にも何の言葉もありませんでした。

老犬や重い病気でかかる時には、お互いに様子が分かり慣れた安心の出来るかかりつけ医で診てもらうことが大切だと痛感しました。評判が分からない全く初めての病院は、前もって軽い症状の時や検診などで一度は病院の様子や雰囲気を見ておくことが大切だと学びました。

ここの病院をどうこういう積もりはありません。私たちのことがきっかけになり改善され、同様の悲しい被害がこの先に出ないことを願います。


元気になって帰ってくると思っていた家族からはMOの無言の帰宅に怒り心頭に発していましたが、一時は安楽❹まで考えたり、酷いてんかんの病状から脱して、今まで発作も起きずオムツをはめてヨチヨチ生きていたMOが苦しまずに天に召されたのだから「吉(よし)」とすることにしました。

MOは家にやって来た頃の幼い仔犬のような可愛らしい表情を浮かべていました。MOの安らかな姿を見ると『これで良い、充分です。』と言われているようで、何よりの救いでした。

(命日のMOへ…)
『MO、今どうしてますか?長い間わたし達家族のそばに居てくれてありがとう。いつも近くで守っていてくれてありがとう。老犬になってからは尚更に、あなたと触れ合い、あなたの世話をすることが私の生き甲斐になっていました。どんなに手が掛かっても生きて居てくれて感謝していました。16年なんてあっという間で、もっともっと沢山可愛がってあげれば良かった…美味しい物を食べさせてあげれば良かった…と思い悔やまれます。手がかかれば掛かるほど可愛くて、愛おしかったよ…』

あんなに酷く辛かった「てんかんの発作」もピタリとやんで数ヶ月が過ぎ、誕生日の次の日に呆気なく逝ってしまったMO。私の代わりになり助けられたと感じる不思議な出来ごとも何度かありました。いつも守ってくれていたんだね、、、

『MO…ありがとう。いつか、また会う日まで見守っていてね…』