ちゅらしっくわーるど

ことりの話し・日々の気づきを宙ららの世界観で綴ります

盲信(もうしん)する

【心のことば】
《ちゅらしっくわーるど》〜宙ららの世界観の物語りです

《盲信する》

① 『信じてもいい。しかし、盲信してはならない』

このことは、実際に自分の経験から思う言葉です。

どんなに立派な人でも、大切な人でも、家族であっても、仲間でも。
人なので行いを誤ることがあります。選択を間違えることがあります。あなたには優しくて素晴らしい人でも全てにおいてそうではない場合もあります。
また逆に、嫌いだったり、あまり評判や行いが良くない人にでも必ず良いところや正しいこともあります。

いつもはこうだから正しい筈だ。良い人だ。
普段からああだから間違えている。悪い奴だ。
そんな筈はない!
と、決めつけてしまう。

これが、盲信です。

何を言うんだ、失礼な!
そんなことはありません。あなたこそどうかしてますよ!
ばかじゃないの?

これが、盲信です。

信じていても、信じている人や、信じてやっている事も、そうとは知らずに実は間違えていることがあります。

何を言ってるんだろう。到底信じることは出来ない。
そう感じたとしても、とりあえず一度はその話しを受けとめることが大切です。

すぐに結論を出さずに、一方的に否定や肯定をせずに、色々な立場の人の意見を聞いて自分の出来る範囲で偏見を持たずに調べ、物事の真ん中に立って考えてみて下さい。

それから怒っても、否定しても、遅くはないと思います。

あなたのことを思って、立場の違う者が助言をしてくれた。
あなたのことを思って、別に放って置いても関係は無いけれど伝えてくれた。
あなたのことを思って、喧嘩になっても、嫌われることになっても、大切な物を失っても、あなたの信じている事とは異なることや理解し難いこと、言いづらいことを意を決して知らせてくれた。

盲信して拒絶した結果、気づいた時には取り返しが効かないこともあります。

自分で気が付かない限り大きなお世話でしょうが、気付かない時間が長ければ長いほど失う物は大きいのです。

新しい情報や別の人から違ったことを耳にしたら、あなたの信じていることが正しいのか?盲信はやめて、その都度自分自身の目でいま一度確かめてから信じましょう。

わたしの場合には、その都度偶然か?必然なのか?気づかせ考えさせられることに出逢います。その時の自分の考えが後の誤りであるとまた気づかせられることに必ず出逢います。生きている限り正解にたどり着くまで何度も何度も間違えることもあります。気付いた時には、少し遅いと思う時も沢山あります。けれど、どんなに遅かったとしても自分が気付いた時が自分にとって最も早い時だと受け止めています。そして、気付いた時にそこでどうするかですね。もう少し悩みましょうか…?

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これまでわたしの大切な人にいつか渡すために日々の気づきをノートに記していました。これはわたしの気づきです。わたしにとっては大切なものです。
そのとき心に浮かんだ言葉はいつも自分に必要な時に浮かび助けとなっています。この記事は自分の心のメモと戒めです。いつか、わたしの大切な人や大切な誰かのお役に立てれば幸いです。