ちゅらしっくわーるど

ことりの話し・日々の気づきを宙ららの世界観で綴ります

一日一善と徳

【気づき・自己啓発
《ちゅらしっくわーるど》〜宙ららの世界観の物語りです。

《一日一善と徳》
これも幼い頃に聞いた昭和のCMでしょうか?
当時テレビからちょくちょくとリズム良い男の子の声で ”いちにちいちぜん” という言葉を耳にすることがありました。今でも心の記憶に残っています。

一日一膳しか食べてはいけません。ということではありません。

『一日一善』です。
一日に一つのよいおこない(善行・ぜんこう)をして、それを積み重ねなさい。という意味です。

ゴミを拾うも良し、困っている人の助けになるも良し、お手伝いをするも良し。
よいおこない(善行)は徳となり自分にかえってきます。

徳は目には見えないものですが、善行をして徳が貯まると顔つきが変わります。
立居振る舞いが変わります。そしてその人を取り巻く雰囲気(オーラ)が変わります。

徳が貯まると”いざ”という時に大なり小なり目には見えない助けや運や奇跡が与えられます。
徳が貯まると災いや低俗なものが近づき難くなり、なにごとにも直感が鋭く働くようになります。例えば失くし物が簡単に見つかったり、小さ幸せにも喜びを感じられ、気づきが与えられたり、感謝の心が生まれたり、目に見えない何かを感じたり、目に見えない何かにいつも助けられ護られていると感じることができます。

この世界は物質世界だから仕方がないのですが、この世界の人達は物が買えるお金は大好きで貯まれば喜びを感じるのでコツコツと貯めることに努めますが、目に見えぬ徳をコツコツ貯めようと努めている者が少ないように感じます。

見返りを求めての善行や意識的な徳(善行)よりも、見返りのない無欲での行いでの善行や無意識に働く徳(善行)の方が高く貯まります。大きな善にも大きな徳が貯まりますが、見返りのない善の方がポイントは高いでしょう。常に見返りのない大きな善で事を行えばとあっという間に大徳持ちになれますね。

例えば、石器時代の人に石器時代では証明できないこの先の未来に実在する今のテクノロジーの話しをたところで一体どれくらいの人がその話しを理解し、その存在が『ある』と信じるのでしょうか?
けれど、私たちは今あるテクノロジーを実際に見たり使ったりした経験や体験から『ある』と確信し認めていますよね。
あちらの世界や次の世界(生まれかわり)が有るか無いかは今は見せる手立てはないけれど、絶対に『ない』と断言できるでしょうか?ほんの少しでも『ある』『あるかも?』と思うのであれば『徳とスキル』を貯めておくべきだと思います。

あちらの世界が魂(心)の故郷であり、この世界は魂を磨くための修行の旅だともいわれていますが、万物この世に生まれたからには遅かれ早かれ必ず亡くなる時が来ます。その時に、もしもあちらの世界や次の世界があったとして後悔することがないことを願いうばかりです。

わたしならそんなものがあっても無くてもこの世界では貯金もしたいですし貯徳もしたいと思います。そしていつか大切な人達にどちらも分けてあげたいと思っているのですが…

これがまた、中々貯まらないのです…(笑)信じるものは救われる!?

あしからず。