ちゅらしっくわーるど

ことりの話し・日々の気づきを宙ららの世界観で綴ります

土俵

【心のことば】《ちゅらしっくわーるど》〜宙ららの世界観の物語りです。

これまではわたしの大切な人にいつか渡すために日々の気づきをノートに記していました。あくまでも、これはわたしの気づきです。わたしにとっては大切なものです。
そのとき心に浮かんだ言葉はいつも自分に必要な時に浮かび助けとなっています。この記事は自分の心のメモと戒めです。いつか、わたしの大切な人や大切な誰かのお役に立てれば幸いです。

心のことば
①『ひとの褌(ふんどし)で相撲を取るな』
②『愚か者と同じ土俵に上がるな』、、、です。

①(人の褌で相撲を取る)ことわざの意味
自分のまわし(褌)は使わないで他人の物を使って自分の目標を果たそうとすること。それと類似したことわざで『人の牛蒡(ごぼう)で法事する』他人がすることにうまく便乗して自分の用事を果たすことのたとえ。とあります。(旺文社 標準ことわざ慣用句辞典より引用)

何の努力や苦労もせずに、他人の物、人気や力を利用してちゃっかりと利や得を取る人はいつか足元をすくわれます。というたとえに使われる。

自分の褌を使って、自分の褌で相撲を取りたいものだ。
他人を当てにしないで自分を磨け、精進せよ。楽をして得た物はすぐに無くなり、すぐに忘れる。自分自身で苦労して得た物は生涯の宝である。

人の褌で相撲を取ろうとする者に注意しろ。
人の褌で相撲を取るな。


②『愚か者と同じ土俵に上がるな』

愚か者の挑発や誘いには決してのるな。喧嘩を売られても買わない。相手にしない。気にしない。

愚か者は目に入れるな。愚か者は耳に入れるな。目や耳に入れた瞬間に自分の心に相手の魔が宿る。それは、相手の愚かな心が生んだ不快•怒り•恨み•憎しみ•悪意などの負の気持ちの悪い気や魔が自分の心に移りこむからである。

普段人が歩く時、道で出会ったものをさほど覚えていない。目に映っていても目に入れて意識したり、心に留めるから記憶する。愚か者は歩む道に飛ぶ虫と思え。取り留めて、気にする必要もない。

愚か者の用意した土俵に上がっても良いことことはひとつもない。疲れるか痛い目に合うか怪我をするかばかをみるだけである。下手をしたら命までなくなるかも知れません。
愚か者の土俵に上がった瞬間自分も同じ愚か者である。
自分の土俵で自分の相撲を取れ。我が正しき道をゆけ。